オロドウ日記

ゲーム、ビジネス、企業関連、ガジェット中心のブログ

流通王 中内功の功罪

ダイエーの掘り下げで今回は中内功氏について書きたいと思います。


【ゆっくり解説】しくじり企業 Chapter16 ~ダイエー~前半

 

偉大な経営者

中内は動画内でもお伝えしましたが、かなり強烈な個性と実行力を兼ね備えており、既存の既得権益者と真っ向から立ち向かい、戦後の流通業を引っ張り、流通王とも呼ばれるほどでした。強烈な個性は多くの人から神格化された存在になり、ファーストリテイリングの柳井敏夫氏など、多くの小売関係者から憧れの存在になりました。

先行していた米国で流通を学びそれを日本に落としこみました。私が色々と見た限りこの中内の存在で、日本の流通業の時計を10年進めたと思います。

中内は自身の事を儲けるための「商売人」ではなく、社会を変えてやろうという大きな志を抱いて事業を興す「商人」と言っております。高い志が中内を突き動かしたのだと思います。

経営手法

その中内の経営手法の特徴は好奇心からくる多角化でした。面白そうという理由で生まれたのがビッグボーイです。これはそばやの女主人から、「こんな利用者がいない浅草のしょんべん横丁に店を出してくれないか」と頼まれて出したと言われております。社内の反対を押し切り、出店しております。これも中内の面白そうという好奇心から来たものです。結果ビッグボーイは繁盛したようですが、なんという豪快さでしょうか・・・。中内氏はこんな頼まれごとでいろんなものを引き受けてます。(リクルートなど)

中内は最初の収益性を重視した経営効率ありきのではなく、プロセスや事業文化を重視しました。これが借金が増えてきた要因と言われております。高度経済成長期であればどんぶり勘定でもうまくいきましたが、バブル崩壊以降ダイエーが墜ちていった要因だと思います。

中内の経営手法として有名なのはシステム化です。中内はシステム、仕組み作りを重視しています。店舗開発や仕入れ、物流も全てシステムありきで構築しており人間が最初ではありませんでした。そのためダイエーは人間がそのシステムに合うように徹底して教育を施します。そして中央集権的な形を作り、全ては本部からの指示によって動くようになります。この教育はダイエーの営業力の弱さを作り、中内の神格化を社内で加速させて、中内に対してだれも言えなくなり、中内の暴走を止められず、今までの成功体験の歯車を逆回転させました。

転落の要因

中内氏は事業領域をどんどんと広げていきました。飲食業に始まり、バブル期には不動産まで手を出し、それはダイエーの経営が傾いてからより一層強まります。中内自身はコングロマーチャント(小売りを中心として様々な業種を持つ巨大企業)をめざしていたようで、本業で借金は返せると信じていたようです。

ダイエーの周りには中内のファミリー企業が多く存在しており、利益を効率よくファミリー企業に流していたと言われております。そのため権利関係が複雑になり実態が見えていなかったとのことで、ここがダイエーの闇の部分とも言える場所です。

また中内功には息子が3人いて、ダイエーに就職させております。新神戸のオリエンタルシティや福岡のシーホークホテルを手がけたのは次男の中内正です。オリエンタルシティが完成したときの中内正はわずか29歳でした。そして長男の中内潤は巨大なダイエーグループの副社長にわずか33歳に就任させており、ダイエーが傾いた1998年でも鳥羽・中内功・中内潤とのトロイカ体制を形成して、なんとか息子にダイエーを引き継いでもらおうとしておりました。しかしさらなる事業の悪化により世襲はかないませんでした。

そんな中内氏は事業悪化に伴い2001年に経営から退くことになった・・・と思いきや、以外にそうでもなかったようです。名誉職のファウンダー(創業者)に就任してからは新社長の高木から本社の部屋から追い出されそうになったのを拒んだり、経営に口を出したりというような行動をしていたようで、高木社長も中内氏への対応に苦慮しました。

晩年

ダイエーを退いた中内は自身の私財をもって設立し、流通科学大学を運営する中内学園の学園長に就任しました。中内は週一回の講義を行い、毎週欠かさず手書きのメッセージを学生に発信していました。しかし学生から「読めん」という声が上がり、中内功はこの年でワープロを習い始めたようです。講義が終われば学食に顔を出し、学生達と談笑するのが日課となっていたようです。会社のさらなる経営悪化により私財差し押さえられ、収入も大学からの給料のみとなっており、大学の事務局にお金の相談をしていたほどだとか・・・。それでも大学では創世塾という起業家向けのゼミを開講したりと、第二の中内功を輩出しようと新しい種も巻いておりました。

そんな流通業界で最も栄枯盛衰を味わった流通王は、定期検診で訪れた病院で脳梗塞で倒れてそのまま意識が戻らないまま永眠し、83歳でこの世を去りました。

まとめて思ったことはこの中内功という人は本当にいろんなことを教えてくれた本当のしくじり先生だと思いす。

 

中内功という方は本当に判断が難しいです

f:id:cakari:20170625144218j:plain

小売業界に多大に貢献したが、

その後の失敗も大きかったからな・・・

f:id:cakari:20170606002140p:plain

          まーなんも貢献せずに

          失敗ばっかのやつもいるけどな

f:id:cakari:20170515233101p:plain

あれー?

なんでここでそういう落とし方するのかな~?

 

フォローする