どうも係長です。今回はダイエーの続きです。
【ゆっくり解説】しくじり企業 Chapter16 ~ダイエー~後半
異例の社長就任
ダイエーは鳥羽社長と中内会長が退任して以降、資産の売却やリストラ策などで再建を目指しましたが、失敗したと言いましたが、そもそもの原因として、本業がうまく行かなかったと簡単に解説しましたので、今回はこのあたりを深掘りしたいと思います。
このあと社長を担った高木社長は以前のV革作戦の時の担当者であって、元々はリクルートの取締役でした。鳥羽・中内が退任した当時は社長込みの顧問という異例の対応でした。
社長に就任した高木は早速資産の売却を行いました。さらに前鳥羽社長と異なり本業の改革に乗り出しました。赤字店の閉鎖。さらには既存店の改装を行い、新商品の開発と専門店を組み合わせて売り場を再構築しました。そして店舗の効率化を実施して、商品回転率を2割向上させ、売価を2割減らして、1坪当たりの売上高と利益率を1割高めて、全体で340億円を増やそうとしたり、品切れの削減などをして、全体で500億円の利益を生み出そうという作戦を実施しました。
リストラ・組織改革の結果
まずはコスト削減として希望退職を実施。あっという間に希望退職枠の1000人に達したようです。この希望退職も直前にいきなり本部から店舗に異動を命じられたり、その逆の人もいたとのことで、なかば強引ともとれる形だったようです。さらにはこの裏で人材派遣会社から販売員を1000人を集めてもらったとのこと。ようは合理化ですかね・・・。
高木社長はさらに組織や社風などの改革にも着手。本部と店舗の意思疎通を円滑にするため、カンパニー制の廃止。服装・髪型・出勤時間・出勤場所も形態に合わせて個人が選択できるようにしました。さらには副部長以上が漢字、それより職位の低い社員はひらがなというような文化を廃止したようです。私は21世紀にもなってまだこんな社風があったのかという驚きが先にでました。
さらには店舗本位の店作りをさせて、業績が良ければ給与などの評価に影響させるといったことも実施しました。パートの意見を聞くという会を開いて、現場から情報を吸い上げるという仕組み作りを行いました。
これだけのことをしながら結果が出ず、結局2003年の利益目標の200億円に大きく届かず、130億円にとどまりました。
焦るダイエー
この頃ダイエーは追い込まれていたのか、マルエツと合併することを一部に提案したようです。これはマルエツを存続会社にして合併して、合併差益を生んで利益を作る会計のテクニックが狙いでした。これには提案されたほうはぶち切れした模様です。
他には専門店を強化して新規顧客を開拓する施策を考えて発表するも、結果が振るわずすぐに引っ込めたり、3年間で175店舗を改装するも改装後売上が1割増加した店舗は1割程度で改装停止したりしました。
食品スーパーのマルエツから売り場指導してもらうなど実施しまして一定の成果を上げることもできましたが、結局大きな成果につながりませんでした。その他にもいろいろな施策を実施しますが、明確な回答を見つけることができず競合店との差は如実に表れてきました。
とにかく拡大路線で新規出店で大きくなったダイエーにとって、既存店の改装をすることができず、マーケティングが苦手でした。2004年にある基幹店の大型改装に着手しました。高額所得者を狙って商品も高額なものを用意しましたが、その結果売上が下がり、あるかき入れ時の日曜日には前年の2割減という結果も出るほどで、とにかく消費者のニーズをくみ取ることができませんでした。
このいろいろな施策を実施している中、ライバルのイオンやイトーヨーカ堂は着実に成長していきました。借入返済が大きく、ダイエーの設備投資額はこの2社と大きく突き放されてますますダイエーは窮地に立たされ、結局は産業再生機構入りとなります。
これらを見てますと高木社長の施策の基本ベースはV革作戦と同じでした。商品の回転率を上げてロスカットを減らすなどを数値目標設定していけば結果が出てくるとおもったのでしょうか?しかし当時と外部環境が大きく異なっており、またダイエーも立場が異なり、余裕のある状況ではなく、すぐに結果が求められている状況でした。ダイエーはV革のような奇跡をもう一度起こせるという考えがあったのでしょうか・・・。
結局は過去の成功体験から脱却できなかったのかな?
一度成功した体験を捨て去るというのは
なかなか難しいからな
そう、誰かさんのように・・・
あれれ~?なんでこっちを見るのかな~?