オロドウ日記

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三洋電機の携帯電話事業(後編)

期末で仕事バタバタ。更新が遅れてしまいました。

前回の続きです。

 

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 急落した携帯電話事業

前回記載したとおり、2000年の初頭まで三洋電機の携帯電話事業は希望にあふれていましたが、2004年以降は急激に利益を産まなくなってしまいました。

要因は携帯電話は先進国では飽和状態に陥っており、成長を続けるには新興国向けの安い端末がカギを握ることとなり、単価が急降下しました。OEM生産が主流の三洋電機にはブランド力がなく、収益性はさらに悪化しました。

国内は電電ファミリーが主導権を握っていたためこれ以上の成長が厳しい状況です。世界では2Gから3Gへの移行期であり、携帯電話事業に大きな投資を行う必要でしたが、新潟中越地震の影響もあり、三洋電機にはすでに投資する体力は残っておりませんでした。

世界最強ノキアとの提携へ

三洋電機の携帯電話事業に残された道は2つ売却か提携。社長の井植雅敏が選んだのは提携。しかも生半可な提携ではない、当時世界最強の携帯電話会社ノキアとの合併です。

フィンランドのノキアは欧州で席巻していたが、欧州方式のGSMであり、W-CDMAの日本とCDMAの米国には苦戦していた。三洋電機と提携できれば米国と日本への足がかりができ、三洋電機も世界への足がかりができ、世界戦略の肝となる提携になります。

ノキアと組めば技術的な観点以外も世界的な部品や資材の調達力を手に入れられることができ、価格競争力もつけられ、ノキア側も唯一無二といっても過言ではない三洋電機の二次電池を安定供給できることも大きい。

しかしながらこの提携は破談に終わりました。2006年第2四半期で最終合意書に調印して、「三洋ノキアモバイルデバイシス」と合弁会社の名前まで決まったにもかかわらずです。

理由は増資を引き受けた大株主金融三社の反対によるものだった。多くのひとの憶測ではノキアと提携されると事業を切り売りするのが難しくなるとなんとも自分勝手な話だと思います。

京セラへの売却

高機能化していく携帯電話に対して今までのように三洋電機単独での事業展開は現実的ではなかった。そのため、三洋電機は事業の売却を選択することにしました。売却先は国内市場で蜜月の関係を築いていた京セラです。京セラの稲森会長はこの話がきた時にすぐに買えと命じたようです。

京セラは元々、三洋電機が倒産の危機が訪れたときに井植敏と同じ関西圏の事業家として仲が良かった稲盛会長に支援を打診したが、京セラの経営者に反対された結果実現はしませんでした。稲森会長は井植敏との約束を果たそうとしたのかもしれません。

結果論かもしれませんが、三洋電機にとって携帯電話事業の売却は正しい選択だったと思います。三洋電機が京セラに携帯電話事業を売却した2007年は大きな変化点としてiPhoneの発売がありました。そしてこれ以降携帯電話は日本陣営は惨敗の一途を辿りましたし。

隠れすぎたSANYOブランド

三洋電機は良い物を作るかもしれないのですが、営業力が弱かったのだと色々な資料で感じました。OEM中心で技術力はあったのかもしれませんが、ブランド力が弱くいつも辛酸を舐める結果に終わっています。

デジカメの話しになりますが、実は三洋電機は1999年には生産ベースで世界シェアの3割りを占めているほどのビッグプレイヤーでしたが、大半はOEM生産でした。三洋電機はブランドにもう少しこだわっていれば今も生き続けたのかもしれません。

ちなみにデジカメというのは三洋電機の商標らしいです。

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