ようやく動画をアップすることができました。お待たせして申し訳ございません。
今回からちょっとサムネをこさえてみました。評判がよければこのまま継続していこうと思います。
今回の補足としてアタリのいざこざについて補足させていただきます。
ブッシュネルはなぜアタリを売却した?
若干ふわっとお伝えしましたが、ブッシュネルはAtari VCSを発売するにあたり資金不足に悩まされました。しかし当時はゲームというのは概ね酒場においてあるピンボールなどでした。1930~1940年代にかけてピンボールゲームはギャンブルの要素があり、違法なピンボールゲームが出てきて、そこにはマフィアが関わっておりました。ビデオゲーム黎明期もマフィアが関わっているのではないかと疑われました。ブッシュネルは投資家にマフィアの関わりがないことを証明しようとしましたが、投資家には不安定な要素があるビデオゲームには理解が得られませんでした。
エンジェルだったワーナー
その中で関心を持っていたのが、ワーナーコミュニーションズ(WCI)社でした。エンターテインメントの分野で業界をリードしたWCI社はアタリ社のビデオゲームの技術を欲して出資を申し出たようです。1974年にWCI社はアタリ社の株の半分以上を取得しました。そしてWCIはアタリへの経営参画を認めてもらいました。WCIは2800万ドルを出資し、内1500万ドル(約45億円)はブッシュネルの懐にいきました。ブッシュネルはアタリを創業してわずか3年で億万長者となりました。
しかしブッシュネルはWCI社ともめることになります。ブッシュネルは会長としてアタリにはいましたが1978年の経営者会議でブッシュネルとWCIのジラードと意見の対立が生まれました。議題はVCSの扱いについて。当時、VCSは売れておらず在庫を抱えていた状況。打開策としてブッシュネルは本体価格の引き下げという意見であったが、ジラードは品質が保てないとして反対していました。ブッシュネルはジラードらを抜きにして経営者会議を始めたがためにジラードらは怒り、ブッシュネルを解任しました。そして外部から招聘していたカサール氏が最高経営責任者に就任しました。
カサールの時代
カサールはゲームに関心を持たず、利益を生み出すモノとしてしか注目していませんでした。規則で縛るようになり、WCI側は家庭用部門に力を入れていたために、利益を生み出していたにも関わらず、アーケード部門の冷遇を始めました。例えば予算削減や新作の本数を減らしたり、チラシが白黒になり、アイディアを没にしたりなどです。これらがアタリが下降していたった遠因と考えています。
カサールの唯一の功績がインベーダーをVCSにもってきたことが唯一といってよいと思います。だけれども急激な業績悪化により1983年に解任させられています。
アタリの売却について
ブッシュネルは後日あの売却は失敗だったと語っており、あと2週間で資金調達ができたと語っております。もしこの買収がなければ、アタリ社はどうなっていたかというifストーリーを考えると面白いかもしれません。もしかしたら今の任天堂は存在していなかったかも。
わずか3年で数十億円てに入るって夢があっていいな
だけれどもブッシュネルは
WCIへの売却は後悔しているようだな
これだけのお金を手に入ればあとは関係なくね?
遊んで暮らせばいいじゃん
そういう人に大金は舞い込まんぞ
面白ければブックマークボタンのクリックをお願いします!