オロドウ日記

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安宅家と安宅ファミリー

3日連続でブログアップします。久しぶりの連投。多分明日はアップしないでしょう。

今回は多くの安宅産業回において最も注目されていた安宅ファミリーについて書きます。

 

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安宅家

安宅産業は安宅弥吉が創業しました。弥吉は元々務めていた日下部商店で体得した「堅実第一主義」に則り、手堅い商売を進めて安宅産業を大きくしました。

弥吉は破綻した旧日下部商店から引き取った社員や中途入社の社員が、経営が厳しい中給与の値上げ交渉をしてきたり、弥吉の目の届かないところで勝手な取引を行い、損を出していたことが発覚します。そこで弥吉は「社員は自分で育てるしかない」として、小学校卒業をした人を紹介してもらい、学費を出してあげて卒業したら安宅に入社させるなどをしました。この面倒をかけた人々を「ボンサン」と言っていたそうです。

長男英一と次男重雄

順調経営だった安宅産業は戦時中に陸軍といざこざがおこり、弥吉は安宅産業の社長を退任せざるをえませんでした。跡継ぎとして二人名前が挙がります。一人は次男の安宅重雄。堅実的ですが哲学専攻で学究肌で商売に勢力を傾けるタイプではありませんでした。もう一人の長男は安宅英一。重雄の10歳年上で音楽や芸術に興味があり、芸術家に対して毎月1万円以上(当時の大卒初任給は平均40円)支援するなど浪費癖が酷かったとのこと。英一は安宅産業の御曹司で欲しいものはなんでも買い与え溺愛されていたようなので、この浪費癖も納得もできます。

結局安宅弥吉は跡継ぎに当時30代前半だった次男の重雄にしました。英一自身も「社長なんて面倒なことはかなわん」といって重雄に譲ったとも言われております。戦後すぐに戦争責任問題等があり、重雄は多くの取締役とともに退任しました。後任として英一は自身の派閥で最も力を持っている猪崎を社長に据えるように重雄に迫りました。英一としては社長業はやりたくないが安宅の実権を握りたいと目論んでいたともいわれております。重雄はこれを拒否して、「神田正吉を社長に据えないのであれば私は退任しない」と反発。結局神田が時期社長となり、猪崎は副社長へと就任しました。(猪崎は後に社長になります。)

これ以降重雄に関する記述はありませんでした。

社賓安宅英一

戦後処理の中で公職追放を恐れて安宅家は他の総合商社と同様に安宅産業のほとんどを手放すことになりました。GHQの占領体制が終わると同時に他の商社は株を買い戻しますが安宅家は買い戻しませんでした。英一が会長に就任する1955年以降にある程度買い戻しますが、増資による希薄化で結局2.8%とたいした影響力を持たない形になりました。よって安宅産業は外見上、親族経営と言える体制ではありませんでした。しかし実情は大きく違っています。

トップである猪崎は英一に対しては頭が上がない状況。英一がノーと言えばそれに従う他はありませんでした。英一は「経営のことはわからんが、人間の判断はわしがする」と言い放ち人事権の掌握します。これにより二重構造が生まれ安宅の迷走が始まりました。英一は会長職を退いたあとも社賓という肩書を作り呼ばせました。この社賓は株式を持っていないので社主とも異なり、しかし安宅産業は安宅家のもので英一は特別な存在という意味合いで作られました(意味がわからない)。

迷走具合が最も顕著だったのが、住友商事との合併です。1966年夏にメインバンクである住友銀行から住友商事との合併を提案されました。この合併が実現すれば三井物産、三菱商事、丸紅、伊藤忠商事に続く第五位の巨大な商社ができる予定でした。具体的に人事を含めた体制、会社名、合併比率など大枠は決まりつつありましたが、社賓の英一は怒り「きみは安宅を潰す気か」とまで言わ放ちました。

上司に異動を言い渡された若手社員が「そんなものはファミリーの力で撤回させてやる」と言い返したこともあるといわれております。安宅英一には昭弥という息子がいました。若干32歳で取締役就任しており、常務、専務と出世街道を歩みました。これはもちろん安宅英一の影響力が大きいと言われております。英一はゆくゆく昭弥を社長に就任させたいと目論んでいました。

ところでなぜ株主でもない安宅家がここまで力をつけられたのか。

安宅ファミリー

それは安宅ファミリーという存在があります。安宅の親族ではなく別の組織のようなものでした。このファミリーの構成は

  • 奨学金をもらって学校を卒業した安宅産業の社員
  • 安宅家のコネクションで入社した人
  • 入社後に英一や昭弥の眼に止まり引き立てられた社員

というものでした。これらの人員が安宅中に存在して、上司・同僚・後輩の日常の仕事ぶりなどが次々と報告されていたようで、中には誹謗中傷も珍しくなかったようです。この安宅ファミリーはファミリー同士、メンバーもわからないため不気味な存在だったようです。

英一や昭弥はこの安宅ファミリーにより人事権どころか会社の実験を握り続けました。この親子は子会社の安宅興産を通じて、英一の趣味である陶磁器収集を行ったり、昭弥のクラシックカーに資金を使われました。さらに一般社員が交際費を極力切り詰めている中、昭弥は月1000万円の交際費を使っていたことが銀行管理下の時に発覚します。そのほか噂程度ですが、「湯河原のホテル5階全フロアを借り切り、業者の接待と称して会社の金で銀座のホステスを連れて行った」「夏の一ヶ月半、接待という名目で別荘を借り切り一族だけで使っていた」などあったようです。

安宅コレクション

安宅産業の灰色的な資産はエーシー産業という子会社を作り、そこで処分をされました。その中に含まれていた英一が収集していたコレクションは資産価値が非常に高いと言われていたようです。エーシー産業が引き継ぐことになっても文化庁が保全要請がでるなど注目が集まりました。住友銀行はこの処理について検討した結果、大阪市への寄託を行い、建設資金も用意(基金への積み立て寄付金の運用利息)して出来たのが大阪市立東洋陶磁美術館となります。2014年まではアタカ大機という企業がありましたが日立造船に吸収された為、恐らく現在唯一「安宅」の名前が残っているものかと思います。

結び

安宅産業についてはいにしえに伝わる総合商社で、石油事業に失敗した親族経営の企業という認識でスタートしました。色々な文献を読みあさっていると想像を超える内部事情で、恐らくしくじり企業で最もカオスな企業だと思います。

安宅産業は近代の経営史でも重要な意味を持つ企業だと思います。ガバナンスやコンプライアンスなどの透明性を重視している中で、これらをおろそかにした末路を示す良い事例だと思います。

 

親族経営は決して悪いことではありません。

親族がクソだと会社がクソになるだけです。

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代々の社長が安宅家の呪縛から逃れようと

しているがことごとく失敗しているからな

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別に親族じゃなくてもトップがクソなケースは

結構あるよな

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          同意を求めるな


【ゆっくり解説】しくじり企業 Chapter19 ~安宅産業~

 

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