オロドウ日記

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安宅産業合併の三つ巴戦(本人不在)

どうも係長です。こんな連続でブログ更新して、どうした?思われるかもしれないのですが、最近なにか活動しないと不安になるという病気にかかっております。

今回は安宅産業と伊藤忠との合併について書きたいと思います。動画と結構かぶる部分もありますが、ご容赦ください。

 

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合併の経緯

伊藤忠と安宅産業との合併の経緯は、安宅産業が色々無理な取引を続けていて、そこに石油取引で大損をこき、単体での回復が不可能な状況に陥りました。そこでメインバンクである住友銀行が救う必要がありました。

 

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時代的にも通常であればメインバンクだけが損をかぶって終わりと思うかもしれません。しかし金額が非常に多く、メインバンクだけで被害を被るのは難しい状況でした。さらに、当時の日本にとって「信用」というのは非常に大きいものでした。日本は先進国と言える状況はなく、外貨も不足している状況で、邦銀(日本の銀行)が欧州の銀行にお金を借りて、そのお金を日本企業に貸し付けているという状況でした。これも日本の信用があるからできることであって、信用がなくなればできなくなります。当時の日本銀行の総裁である森永貞一郎氏は「安宅アメリカの破綻は万難を排して水際で食い止めなければならない。安宅産業の本体を揺るがせてはその影響はあまりに重大である」と言及しております。

進駐軍

住友銀行はこの日銀の指示もあり、伊藤忠との合併にさせるように動きます。住友銀行は伊藤忠に対して「絶対に損はさせない」として、合併を懇願しました。それに対して伊藤忠も住友銀行への恩義と、本格的な総合商社への脱皮を図る上で鉄の商権が欲しかったので、前向きに検討するようになりました。そして、1976年1月に伊藤忠と安宅産業は提携を発表します。

住友銀行・共和銀行(メインバンク)は安宅に顧問団を派遣して、伊藤忠も安宅に出向していた松井氏を呼び戻し安宅の合併に向けて動きます。松井氏は内部を徹底的に調査。メインバンクは安宅産業を管理下において徹底的に調査と統制を行います。その結果、前回に記載したようなサイコパスな取引が明るみに出ます。さらに粉飾決算で見せかけの営業成績を作っており、実情を知るものは安宅も含めてほとんどいなかった状況です。

商社と銀行の視点

安宅は社長を住友銀行出身の小松氏、副社長に協和銀行出身の田中氏、会長を松井氏という形の体制にして、さらに内部を徹底調査。そして銀行と伊藤忠との合併交渉が始まります。当初は半期1兆円の売上がある商権・3600人の人員のうちどれだけ伊藤忠が引き取るかが焦点でした。

水増しした売上、死んでるも当然のゾンビ取引などを考慮して、銀行側は継承商権額を5663億円と提示。伊藤忠はこれをさらに精査した結果引き取れるとしたのはわずか2720億円と回答。この乖離している理由は商社と銀行の二つの別の視点で商権をみた結果と言われております。

銀行側が見る視点は全体の取引に対して、架空取引でなかったり、赤字覚悟でない取引などを排除するネガティブアプローチです。対して伊藤忠は200人の社員が商権の実情を含めて細かく精査し伊藤忠に今後利益を与えるか取引を積み上げるポジティブアプローチによる差です。

銀行側はおいしいとこ取りと揶揄しておりますが、伊藤忠も当時不採算事業を切り捨てて、ようやく回復の見込みが出た矢先でこの合併案件だったので、慎重にならざるを得なかったという問題もありました。

銀行側は絶対に拒否されることは許されない状況で、年内にまとめる必要がありました。破綻処理ではなく合併という体裁上、せめて半分は引き取ってもらいたかった狙いがありました。

結局は2700億円~2800億円分を抜き出して伊藤忠と合併。それ以上に関しては銀行側は補填するという内容で決まり、合併が実現されました。

安宅産業労働組合結成

動画ではほとんどお伝えしませんでしたが、これら合併の動きに対しての安宅産業の従業員についても補足します。

安宅産業には労働組合はなく結成されたのは伊藤忠との提携が発表された後の1976年1月20日です。それ以前には安宅社員会という独特の組織がありました。事務費用などの運営費用は全て会社持ちとなっており、社員の待遇改善などを掛け合うなどのお願いベースとなっております。これは社員はすべて家族同然という社風がそうさせていたといわれております。

1975年の11月にボーナスは毎年他社(兼松江商やニチメン)と同程度(4.5ヶ月)だったのに対して、今年は会社から回答を得なかったため、ついには「要求」という単語を使った抗議文を出します。12月7日にはNRC破綻が報じられたことにより安宅産業の経営危機が明るみに出て一気に社員に焦りが出ました。

老舗の総合商社である安宅産業が潰れることはあり得ないと思い込んでいた社員も大きく動揺しました。さらには伊藤忠との合併を見込んだ業務提携の発表があり、急速に安宅産業の状況が変わり、労働組合ができるのは不思議ではありませんでした。

この労働組合の結成大会には加入対象者の88%である2600人が参加し、大きな組織となっております。そこでの労働組合の執行部は「安宅が倒産した場合、影響額が大きいから、銀行が支援してくれている。さらに政府・日銀が放っておかないから倒産の恐れはない」「合併の問題は安宅の焦げ付きを全部整理した上でという条件だから、銀行がその条件を満たす覚悟があれば、安宅は自主再建が可能」というどこかで見たことあるようなフラグと超理論を展開しました。

ちなみにこの言い分はすでに安宅の経営陣に当事者能力を失っていたため、誰にぶつければいいかわからなかったようです。組合はNRC以外の国内の損失でも1000億円~2000億円あると見込まれてから、自主再建を諦めてます。

今度は人員整理に反対するためにストを決行します。しかしそれも全員ではありませんでした。伊藤忠への移籍がほぼ確実と思われる鉄鋼や化学などはストに不参加。ストに不参加だっ者は300人は労働組合を除名されました。

安宅産業バトルロワイヤル

関係会社や従業員を含めた整理は急ピッチで行われ、8月31日には900名もの希望退職社を募った。これに対しては労働組合は人員整理反対するため、どんな嫌がらせをされても会社を辞めたり希望退職に応じないとヤモリのようにへばりついても会社をやめない「ヤモリ作戦」を展開。

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安宅労働組合はNRC問題は住友銀行の責任で、安宅と伊藤忠との合併を歴史上まれにみる企業破壊と糾弾します。これら糾弾も特に影響がなかったのか、結局は全体で1000人ほどの人員整理ができました。しかし安宅労働組合はなんだかんだと言って目標人数が達成されてないとして「ヤモリ作戦は成功」と総括した(説明はめんどくさいので割愛)。

合併が決定したあとの1977年にも800人の人員整理を発表し、伊藤忠への椅子取りバトルロワイヤルを行われました。若手社員の中が「お前が辞めろ」と罵り合う姿もあったようです。これら極限の人間模様は松本清張著の『空の城』の小説にもされました。

結局は3600人中伊藤忠へ行けたのはは1000人ほどで、1800人ほどは希望退職による退職だったようです。

 

労働組合って結局状況を引っかき回しただけやんけ

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急遽結成されたからな、

仕方がないっちゃ仕方がないんだが

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         いやー守るものがある人は

         大変ですなー

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守るものが何もないお前が言っても
重みがないな

 

 

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