しくじり企業では白物家電を中心に話しをしましたが、今回は黒物家電について書きたいと思います。
三洋電機の電話事業の成り立ち
三洋電機の黒物家電の代表格は携帯電話です。三洋電機の携帯に関しては思い出深い印象を持つ人が多く、ファンも多いと聞きます。デザイン性の高さが評価されニューヨーク近代美術館入りを果たしたINFOBARやtalby等もあり、特にKDDIとは蜜月の関係にあったといえます。
1980年代は電電ファミリー(NTT陣営)のNEC、日立、富士通、沖電気などが独壇場で、電話事業は入る余地がなかったです。そんなか1990年代に三洋電機はコードレスで受話器を持たずに話せる、いわゆるハンズフリーの先駆けとも言える電話機で「テ・ブ・ラコードるす」を発売して幸先のよいデビューを飾ります。
携帯電話は車載電話機をアメリカで作っていましたが、貿易摩擦で売ることが出来なくなりカナダ、シンガポール、欧州市場への輸出から始めます。94年に携帯電話の売り切りが開始され(その前までは携帯電話はレンタルのみ)、国内でも本格的に携帯電話事業を開始します。
三洋電機の高い技術力
海外での高い実績により技術が蓄積され、いち早くデジタル化へと移行でき、音声圧縮技術やノイズキャンセリング機能などの先端技術で他社に勝っており、97年の時点で重量100グラムと当時としては圧倒的に軽い端末も開発しておりました。2000年12月には9.9ミリという世界最薄のC405SAも発売しています。
三洋電機の携帯電話はいろいろな世界初や日本初のものを作っております。
- 2003年12月世界で初めてのFMラジオ搭載のA550SA
- 2005年7月日本初のアナログ地上波テレビが受信できるW32SA
- 2005年12月国内初のワンセグ対応のW33SA
- 2008年4月沖縄で世界初の3.0インチの有機ELディスプレイを搭載したW61SA
世の中にないものを作れという当時の専務の寿英司氏の言葉により様々携帯電話を作っていました。通信方式も様々なものを採用しているが、国内はdocomo主導のW-CDMA方式を主流で、欧州ではGSM方式三洋電機が選択したのは米国のCDMA方式です。
ドコモに頼らずに・・・
CDMA方式を採用した企業は国内では京セラか三洋電機しかなかった。この三洋電機に目をつけたのが、ベライゾンとAT&Tの後塵を喫していた現ソフトバンクグループのスプリント。スプリントは前記の2社に負けない高機能の端末を欲していて、三洋電機と手を組み端末を供給してもらいました。三洋電機も高級路線でブランドイメージを上げようと同じスプリント陣営のサムスンと熾烈な争いを繰り広げました。
国内には三洋電機は電電ファミリーではなかったため、J-phoneとauに供給しております。当時のdocomoのシェアは全体の60%もあったにもかかわらず国内出荷台数は10%と健闘。またスプリント向けもサムスンと熾烈な首位争いをしていますが・・・。三洋電機は2008年に京セラに携帯電話事業を売却。
次回はなぜ携帯電話事業を売却することになったかを書きたいと思います。