オロドウ日記

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シャープはなぜ液晶に注力したのか?

どうも係長です。ブログって本気で書くと時間がかかるので、書き始めるのに戸惑う。ということでシャープの補足です。

ブラウン管の敗戦

シャープはラジオを主力として戦い、ラジオから電卓、液晶へと戦場を移していきました。多くの人のシャープのイメージは尖った商品が多くて魅力はあるが、ブランド力ではソニーや松下電器(現パナソニック)には勝てないメーカーだと思います。大手メーカーではありますが、1.5流・2流という立ち位置ですね。

そのブランド力の弱さが最も影響していると思われるのがテレビです。日本で初めてテレビの量産化に成功して、テレビの浸透期には法人への販売などでシェアを伸ばしサービスも拡充させました。

しかしながらテレビの心臓とも言うべきブラウン管は他社製のもの。いくら技術を極めようともブラウン管が自社製ではないシャープはアセンブリ(組立)メーカーと揶揄されておりました。それ故にシャープは主軸となる技術を求めます。そんな時に常務の佐伯が、若手の社員から新しい技術として半導体があることを聞きつけます。佐伯は説明を聞いてすぐに半導体などを研究する施設として中央研究所を設立します。この半導体の研究が電卓や、後の主軸となる液晶の発展へと繋がります。

中興の祖 佐伯旭

話はちょっと変わりますが、動画のコメントを見ていると創業者である早川氏の評価は高かったのですが、2代目社長の佐伯旭もシャープに大きな影響を残して中興の祖と呼ばれた佐伯氏について解説します。経理出身でありながら、早川氏に見いだされ1959年に専務取締役に就任して、早川氏から実質経営を任されました。技術確立の為に大きな投資をして研究所を設立し、半導体、液晶、シリコン太陽電池、電卓、日本語ワードプロセッサーなど様々なものを開発することができました。1970年の社長就任時に社名もシャープに変え、電気屋から総合エレクトロニクスメーカーへ見事転身を果たします。その後も高い技術開発力、消費開発力、販売戦略、財務体制など様々な経営戦略に成功します。日本の高度経済成長期を代表する経営者の一人で、個人的には早川氏より佐伯氏のほうが興味あります。

 

液晶への注力

話しを液晶に移します。液晶の実用化は非常に困難を極めました。90年代になっても実装できる製品は一人で使用するPCのモニターが限界でした。テレビにスーファミをくっつけるなど奇抜な商品を作っておりましたが、相変わらずブランド力がなく、90年代に行った電機業界内でのブランド力は7位で、ヒット商品がそこそこでも顔の見えない会社と揶揄されてました。

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(SHARP 公式twitterより)

当時の社長である営業畑の町田社長にとって、この想いは特に強かったと思います。それ故に、シャープのブランド力の向上は課題でした。他の主力事業で今後も伸びると言われている半導体に関しては、確実に利益を出しますが世界の中でも20位程度。今後の投資額も考慮すればシェアを伸ばすのは困難でした。これらのことから、まだ事業として成り立つかわからない液晶に全てを賭ける決断を下しました。社内からは反対の声が大きく、町田社長は切り捨てる半導体の社員を中心に説得することに奔走しました。町田社長はこの時期が一番つらかったとおっしゃってます。

これらから、シャープの液晶への注力は並大抵な決断ではなかったことがわかります。シャープの肝いりだったAQUOSも大ヒットを飛ばし、世界に類を見ない垂直統合モデルの亀山工場も大成功となり、シャープは一時期栄華を極めました。

 

このスーファミ内蔵テレビは

電機屋で唯一ゲーム画面が写ってるテレビで

すっげー目立ってたし、欲しかったな~

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シャープや三洋が先に商品を開発して、

松下電器が改良して安く販売するがテンプレだったな

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       やっぱ後から出てきた安い方買っちゃうよね

       シャープって地雷商品も多いし

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お前公式から怒られるぞ

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