オロドウ日記

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日産の3人の天皇

どうも係長です。今回は日産の補足ブログで、興味があった人も多いと思われる3人の天皇についてです。


【ゆっくり解説】しくじり企業 特別編 ~日産~ 後半

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出展:https://clicccar.com/2013/02/08/212275/

左から石原・川又・塩路

日産3人の天皇

まずこの3人の天皇をそれぞれ簡単に説明します。一人目は日産の中興の祖として知られる川又克二です。元々は日本興業銀行(現みずほ銀行)の出身でしたが、1947年に日産に常務として入社して、1957年に社長となりました。経団連の副会長も務めて財界にも顔がききます。労働組合と手を組み、日産の海外事業を強化し、プリンス自動車と合併し、日産の国内2位の地位を確保し続けました。ブルーバードやセドリック、フェアレディの名付け親でもあるようです。

次が日産に大きな影響を与えた人物である、石原俊。東北大学出身で日産に入社後、経理・財務関係の部署を経て、成り上がっていき1977年から社長に就任しました。労使関係を見直し、国内シェアでトヨタを追い越し、グローバル10という世界でシェア10%まで伸ばすという目標を掲げました。

そして3人目の天皇として日産労働組合のトップに20年以上君臨した塩路一郎。終戦後同じ日産コンツェルンである日本油脂に就職し、その傍ら明治大学の夜間部に入学。大学卒業後の1953年に日産に異例(官学偏重とのこと)の入社となる。塩路は労働組合に入り頭角を現し、ハーバード大学への留学を経験後(このときUAWの会長と仲良くなった)、1961年に日産自動車労働組組合長、翌年には自動車業界の組合である自動車労連会長にまで就任。川又と蜜月の関係を築き、川又の女房役とまで言われ、日産に大きな影響力を持ちました。

良好すぎた労使関係

日産は1953年の労働争議以降、経営陣と組合が急接近して良好な関係を築きます。その根底にあるのが川又と塩路の関係です。塩路は川又との関係の良さと塩路自身の能力も高いと評価されて、自動車業界の組合トップに上り詰め、労働界の賢人とまで言われました。早くから国際的な労働家として名が知られて、当初は日産の成長を支えていたとも言われてました。

しかし川又がいつまでもトップに居続けるのはできませんでした。川又は会長に退きます。そして石原が社長に就任し、石原は労働組合と距離を置く方針をとりました。かつては組合の同意なしにはなにもできなかったのを、経営陣側へ取り戻そうとします。

この取った経営権で石原は様々なクソ海外プロジェクトを展開して、拡大戦略をとります。これらのプロジェクトは負債という形になり、将来の日産を苦しめることになりました。塩路は英国の大規模プロジェクトに対しては反対の立場をマスコミに表明して、組合を超えた主張を取り始めました。これがマスコミ・世間の注目を集める形になります。日産の取材は増えて週刊誌を賑わす形になりました。さらには日産をモデルにした企業小説が出るほどで「労働貴族」「破滅への失踪」などが出版されております。

塩路は会社に抹殺された?

英国プロジェクトが佳境に入り、結論を出さなければならなくなった時期に日産に誹謗中傷の怪文書が出回るようになりました。この怪文書は会社でしか知り得ない情報で、手書きのガリ版刷りでした。塩路は宛名の筆跡で社員を特定していたが、個人を名指しで批判することになるので、あえて公表は避けたようです。

これらの怪文書等で特に大きな問題になったのは、1984年1月に写真週刊誌のフォーカスが「日産労組『塩路天皇』の道楽―英国進出を脅かす『ヨットの女』」というタイトルで豪勢な暮らしぶりと若い美女でヨット遊びをしている写真が掲載されました。さらにその後「労働貴族」が出版されて、塩路の豪遊ぶりが話題となり、日産に大きなダメージを与えることになりました。

塩路の言い分としてはたまたま招待した女性と一緒になったところをすっぱ抜かれただけと語っており、ヨットもゴルフ会員権を40万で購入して、投機ブームで価格が高騰したので売却して、その資金で購入したと語っております。

塩路はスキャンダルは会社(日産)側が仕組んだもので、塩路を尾行していき自動車は日産所有のもの。当日の佐島(スキャンダルの現場)には日産の広報室長と課長がなぜかいたなどと石原を追求。塩路は石原に塩路宛の詫び状のようなものを書いてもらい手打ちにして、英国プロジェクトを進めることができました。しかしこれも会社にダメージを与えるとして公表されておりません。

塩路は石原が徹底して組合潰しに奔走していたと指摘している。組合人事に介入して、弱体化を図っていた。さらに塩路会長降ろしを加速させ、日産の労務部、人事部、広報室、企画室が中心となり、塩路降ろしを行っていた。トヨタが500億円だった広告宣伝費に対して、日産は700億円もつぎこんでおり、塩路を潰す為にカネに糸目をつけず徹底させていたと塩路は指摘しています。これらの石原からの攻勢で社内からも多くの塩路批判が噴出しました。塩路は日産に迷惑がかかるということで1986年に全ての役職から辞任しました。

私は被害者だと塩路は言っておりますが、一方で塩路は1965年のプリンス自動車との合併時に他の労働組合の組合員に対して暴力・圧迫で追い込んだことや、批判した幹部社員に対して、役職から外して、部内でも一切口をきけなくさせて追い込んだという話しもあります。

president.jp

私の感想

個人的な感想に入りますが、塩路を擁護する意見の文章は信憑性に欠きます。参考書籍は塩路側の意見が全面に出ており、日経の元記者ということですが、会議内容なども詳細に書かれておりますが、詳細すぎて逆に気になりました。また詫び状があるということですが、公になっておらず、「俺は指摘したけど会社に迷惑かけるからあえて言わない」的な感じで全て真実が闇の中になっており、信用にかけます。

塩路が行っていたことや指摘していたことは事実かどうかわからないですが、この頃の日産が一番の闇で、倒産した原因になったと思っております。仲良くまではいいませんが、一枚岩にならないと難局を乗り切るのは難しいと思います。

 

公表されていない以上真実はわからないが

全てが嘘とも思えないな

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いつの時代も長くトップにいると

問題が発生する典型だな

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ところであの本、会話内容まで

まるで見てきたように書いてあったけどあってるの?

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            わからん・・・

 

↓本当かどうか疑問が残る本はこちら

 

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